陶磁器

尾形乾山(初代)と推定

『白菊向附五客揃』

5点一組

18世紀前半

箱付き







※写真は、焦点があまく多少の歪みがあり、実際の色と若干異なっています。



作者 : 尾形乾山(初代) [ Kenzan Ogata ](日本:1663-1743年)と推定

向付け : 5点一組 (一部に金彩が施されています)

18世紀前半の制作と推察されます。

底部に「乾山」の署名有り

箱付き

サイズ : 縦 18.4cm± 横 20.5cm± 高さ 4.5cm±

コンディション : 5点のうちの1点(1箇所)にわずかな当たりがあり(よほど気をつけて見ないと判らない程度です)、 色絵に多少の擦れもありますが、それ以外に目立つ瑕疵(かし)も無く、江戸からの伝来品にしては、全般的に大変 良好です。

滅多な事では市場に出てこない美術館級の名品です!!!

尾形乾山(初代)の作品は、非常に鑑定の難しいものですが、この作品に付きましては、乾山独特の木型による型打ち成型 に手捻りを加えたその形状や絵付けの圧倒的な存在感と底部の非常に能筆な署名等から、よくある「乾山写し」ではなく、 尾形乾山(初代)の作と推定できます。


<ご出品者のコメント(原文より抜粋)>

五島美術館所蔵品に類似の意匠のものがあります。箱書きの芦中さんというのは、江戸末期から明治にかけて の御茶人兼道具屋さんで、当時はそこそこ有名な目利きだったそうです。

当家の伝来品です。正真正銘の京焼ですが、多少厚めの作りなのは遠方に送られることを配慮した可能性もある のではと思っております。もしそうだとすれば、何らかの形での注文品でしょう。そういう角度から見ると、当 時の京都と地方を結ぶ人・物・文化のやりとりが背後にかいまみえ興味がつきません。

ご承知の通り、乾山は大変にもろく、柔らかい焼きものです。そのため伝来といいつつ使用の痕跡は皆無に 近く、さすがの祖母も私も眺めたことはあっても、実際に使ったことは一度もありません。またおいそれと 使えるような生易しいしろものではありません。とりあわせが実に難しく、漆器や古銅など一部の金属器を 除く大抵の器は(中国渡りの、かなり良いものであっても)置き合わせた瞬間「食われ」てしまいます。そ の意味では孤高の王者、専制君主と申しますか、素晴らしい風格の非常に気高い器です。

今から8年前に京都/東京の交換会およびオークション会社数社に鑑定してもらったところ、 査定価格は数千万円台〜数百万円までまちまちでしたが、いずれも本物であるとの査定でした。

また以前出品しました「佐野乾山」と同じく、昭和30年代に地元の百貨店が主催した「尾形乾山展」に、 展示用にと頼まれて一ケ月間貸し出していたことがあります。それだけで別段どうということもない話で すが、あるいは何かの御参考にでもなればと思い、ついでのことにご報告申し上げます。

5枚のうち1枚だけ1ケ所うっすらと当たりがありますが、よほどよく気をつけて見ないとわかりません。 他の4枚は完品です。そのかすかな傷も、欠けともいえないような微細なものです。


<ご出品者の追加/訂正コメント(原文より抜粋)>

今回の作品の類似作品が五島美術館に所蔵されているのは確かなのですが、福岡市美術館所蔵品の方がもっと似ておりますので、 比較にはより適しているかもしれません。

調古庵芦中に付いて、多少補足します: 幕末の人。生家は大和の豪商または豪農らしいが早くから京都の道具屋へ養子に出された。茶に造詣深く、 眼の確かさを買われて紀州はじめ畿内・西国諸侯へ出入りが許され、品物の目利き・極書を求めに応じて していたらしい。調古庵芦中は隠居後の雅号で本名は伝わらない。生没年不明だが亡くなった時は50過ぎ。


オークショニアより : こんな乾山のスゴイ名品を、昨年の「佐野乾山」に続いてご出品いただきましたことに、 衷心より厚く御礼申しあげます。


国内参考価格 : 「佐野乾山」(江戸に招かれた乾山が1737年に佐野に遊び作陶した作品群)と謳っ た小皿作品が、最近、東京都内の一流骨董店で1点(枚)130万円の値付けで売られていました。


<署名>


<尾形乾山(初代)署名参考例>


<箱書き>


※写真は、焦点があまく多少の歪みがあり、実際の色と若干異なっています。


    
落札希望価格
現在の
最高入札価格
ご入札者入札締切日
on request \1,850,000. M.Mit. '00/1/27
※落札されました