古唐津
陶胎人形
『文官像』
江戸初期
※写真は、焦点があまく多少の歪みが有り、実際の色と若干異なっています。
事と次第によっては ”重文級” の・・・
とんでもなく貴重な ”お宝” です!!!
江戸初期 ( と推定 )
サイズ : 高さ 約 70.0cm
コンディション : 左手と巻物の破損接合跡と小欠損・足元と台座の数本のひび ( 窯キズと思われます )・足元の前部の共色補修・
窯焼きの際の自然な焼きむら等が有りますが、そのどれもほとんど目立たず、鑑賞上は全く問題ありません。元々多少のダメージは
許される江戸初期から伝来した古唐津 ( 陶胎人形 ) にしては、とても珍しく、非常に満足のゆく良好な保存状態です。
もともとは江戸初期に小倉藩主が唐津の窯へ別注されたもので「文官」「武官」一対からなるものでした。
両方とも明治維新で払い下げられ、***(オークショニアより:差し障りがありますので以下お名前は伏せさ
せていただきます・・非常に著名な政治家です)の縁戚として知られる**の名家**家の手に渡りま
した。さらに戦後の昭和二十三年に(1948年)**ではじめて行なわれた**のため****(オークショニアより:
畏れ多くて以下お名前は伏せさせていただきます)が**なさったおり、**家でご休憩になる機会が
あったそうです。その時に飾ってあった一対をご覧になり、武官が非常にお気に召したらしく、あまりに何
度も「これはいいなあ」とおっしゃるので、とうとう差し上げざるを得なくなってしまったとか。その場で
献上するむね申し上げたところ非常にご満足で、お側の方にもたせて上機嫌でお帰りになったそうです。
以上の話はこの文官を譲られるさい、亡父が当時の**家のご当主から「こういう由来のもんだ、大事に
せいよ」と直接うかがったものです。**ご所望の一件は当時大評判で、残る「文官」は地元名士の垂涎の
的だったらしいのですが、結局なぜか気に入られていた父が、炭坑閉山をしおに生き形見としてプレゼント
されたと聞いております。
今も**に所蔵されている「武官」をのぞけば、類似の作例は国内に絶無です。
そのせいでしょうか、一部の専門家に「大陸あるいは半島から輸入したものではないか、当時の日本にこん
な技術があったはずはない」などと一方的に決めつけられ、それではと陶土成分の鑑定を受けた結果、やは
り唐津と判明した経緯があります。大きさと造形、また注文主からいっても、その当時最高峰の技術を持っ
た陶工の作に間違いないそうです。
由来、作品自体の仕上がりはもちろん、陶磁史上きわめて貴重な作例であるため、これまで地元の陶磁資
料館をはじめずいぶんあちこちから譲ってほしいとオファーがありました。ただ、そうはいってもご存知の
通り美術館は(特に公営のものは)非常にお支払いが遅いので、どうせ人様にお譲りするのであれば、大事に
していただけるのなら同じことですから、真にお望みの方にお譲りしたいと思い、掲載をお願いした次第です。
ちなみに****と献上に関する事実関係についてですが、存じよりの筋から***に問い合わせてもら
い事実関係を確認しました。「武官」は現在、ご遺産相続により****の個人所有品となっているとのことでした。
古唐津/陶胎人形 制作時代 : 江戸初期
肩を覆う頭巾を被り、雲龍文を施した鰭袖の俗称をみるフリルのついた服をまとい、獅噛の帯を締め、沓
を履き、長い垂飾りを股間に下げる。右腰に剣を佩し、左手に巻物を持ち、右手で髭を撫でる。陶胎はビス
ケット状の肌を呈し、顔部と手先を無釉とし、剣・頭巾・巻物・沓・獅噛の歯・垂飾・人物の爪に藁灰系の
釉薬を施し、衣服などに鉄分の濃い釉を塗って焼成。バランスを欠くほどに上半身を誇張した造形は、力の
みなぎりを表現するためか。***に移管された片方を未確認のため、具体的に主題を詳らかにすることは
適わない。右腰に剣を帯びるのは考証的不整合ではなく、かつて一対だった片方との左右対称のバランスを
考慮したためと考えられる。作者は渡来人(大陸から帰化した陶工)か、少なくとも伝統的な唐人モチーフ
に身近に触れる機会のあった者、もしくはそういう人物が制作課程に密接に関与した可能性が高い。
オークショニアより : なにはともあれ、こんな貴重な ”お宝” 作品を弊社オークションにご出品いただき・・・
本当に何と申し上げてよろしいやら・・・言葉になりません!心より御礼申し上げます!!ありがとうございました!!!
落札希望価格 | 最高入札価格 |
ご入札者 | 入札締切日 |
on request | \2,000,000. | Phil.T. | '01/9/27 |