永楽 保全
『茶碗』
箱付き
京焼の名工中の名工と謳われた永楽保全・・・
円山派の正統を継承しながら近代山水画の礎を築き
京都画壇の中心的存在であった森寛斎・・・
その類い稀な大陶芸家と大画人が出遭ってこそ生まれる
小さな茶碗の形を借りた壮大で奥深い芸術・・・
永楽保全ならではの「河濱支流」の印銘に
裏千家十一代宗室 玄々斎精中 の書き付けも有り・・・
家のお宝として所有し愛でる喜びを末永く伝える事ができる
本当に出来の良い有り難く貴重な逸品です!!!
作者 : 永楽 保全 (十一代 西村 善五郎) [ Hozen Eiraku / Zengoro Eiraku the 11th ] ( 日本 : 1795 - 1854年 )
絵付け : 森 寛齋 [ Kansai Mori ] ( 日本 : 1814 - 1894年 )
底部(高台脇/土見)に 「河濱支流」 の印銘と、その右上部に 「寛齋 画」 の署名有り
箱付き(二重箱) : 箱に 「玄々斎」(※)の 署名・花押 他有り
※ 裏千家 十一代家元 玄々斎 精中 [ Gengensai Seichu / Sousitsu the 11th ] ( 日本 : 1810 - 1877年 )
サイズ : 口径 13.6cm± 高さ 7.5cm±
コンディション : 箱の底部に一部補修の跡が有りますが、作品自体に問題になる瑕疵(かし)は無く、完品と呼べるほどの良好な状態です。
※本作品の箱は、永楽保全の落款のある共箱ではありませんが、裏千家十一代家元 玄々斎精中の
(比較的若い時期のものと思われる)箱書きが有り、茶碗本体には、永楽保全以来の
印銘である 「河濱支流」 と 「寛齋 画」 の署名が入っており、それらを慎重かつ厳正に鑑定しました結果、
本作品は、疑いようの無い永楽保全の真作であると断言させていただきます。
なお、現代では、各千家のお家元に箱書きをしていただく場合、それなりの箱をしつらえなければならない等の
約束事が色々とあり、その箱の仕様や箱書きの作法を、真贋鑑定の重要な要素にする場合もありますが、
本作品が制作された時代には、お家元も、箱のしつらえ等にあまりこだわりなく、割合に気安く箱書きを
お受けになっていましたので、本作品と同時代のものは、付いている箱の仕様や箱書きの作法によって、
贋作であると決め付ける事はできません(この件は、千家十職のさる当代の方にも直接お伺いし確認いたしました)。
●永楽家代々のうちでも名工として知られる初代永楽保全(十一代 西村善五郎)(寛政7年/1795年
〜嘉永7年/1854年)と、円山派を継ぐ近代山水画の大家である森寛齋(文化11年/1814年
〜明治27年/1894年:画家で帝室技芸員、京都画学校教授、萩の人)の合作による茶碗です。
史料的にも大変に貴重で珍しい茶碗と思っております。
●重要な箱書きは、裏千家十一代家元の玄々斎精中によるもので、字体等も、間違いの無い真筆のものです。
さらに、時代箱と茶碗の四方の空きは適切に有り、箱と茶碗は合っております。
●保全は、文政10年(1827年)に、紀州徳川家の浜西御殿へ出仕をはたし、
偕楽園焼(御庭焼)の開窯に参画した際、その著しい功績に対して、藩主 徳川治宝(はるとみ)より、
「河濱支流」の金印と「永楽」の銀印を拝領しました。この事例は、楽旦入が、前年の文政9年に、
同じく徳川治宝より、「楽」の一字を下賜され拝領印とした例を倣ったものと思われますが、
西村善五郎家は、それ以後、茶陶家として、楽家ともども、その地位が認められたのは
ご承知の通りであります。また、保全も、楽家と同様、「永楽」を陶号として用い、
善五郎家の本姓を「西村」から「永楽」に改めました。
※ 「河濱支流」(かひんしりゅう) : 「河濱」 とは、中国の故事である 「舜、河濱に陶す」 にちなんだ言葉で、
「支流」 は、その流れをくむ(くみたい)という意味あいから付加されたものです。
●本作品は、永楽保全が、嘉永4年〜7年(1792〜95年)の大津・湖南窯時代か晩年の御室時代に、
円山派の森寛齋(京都画学校教授時代)と知遇を得て合作したものと思われますが、永楽保全の印である「河濱支流」が
はっきりと押され、山水画の名人らしい森寛齋の見事な筆裁き(速筆)による絵付けがなされた、
詫び寂びの薫りを強く醸し出している実に趣きのある名碗だと思います。
※写真は、焦点があまく、多少の歪みと反射が有り、実際の色と若干異なっています。
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on request | private | oyaji | '03/6/23 |