マイセン窯
フィギュア(人形:置物)
『ボンボン入れを抱える男』
18世紀中頃(1750年頃と推定)
ドイツ
伝説的彫刻家ケンドラー自身が制作に関わった
いかにもケンドラーらしい生き生きとした顔付きの
非常に貴重な18世紀のオリジナル作品・・・
欧米の骨董店でもなかなか出会えない
マイセン・コレクター垂涎の
正にミュージアム・ピース級の逸品です!!!
18世紀中頃(1750年頃と推定) ドイツ
底部に窯印(※)有り
※ 1731年〜1765年頃に使われたマイセン窯の典型的な双剣の窯印のひとつです。
※ 本作品に描かれた窯印は一部不鮮明ですが、18世紀マイセン窯(のフィギュア作品)ではよくある事で、
いずれにしても、本作品は、その作行きからも、18世紀に制作された作品である事は間違いありません。
サイズ : 高さ 約 14.3cm 幅(台座) 約 6.8cm
参考文献 : Yvonne Adams 著 “Meissen Figures 1730 - 1775 The Kaendler Years” P.141 に同仕様作品掲載
コンディション : 細かく凹凸の多いマイセン・フィギュアにとって、多少のダメージが存在する事は、
ある意味で宿命とも言えるものであり、細部における微小な欠けやプロの手による修復がなされた損傷については、
世界中どこの市場でも容認しています。この作品にも、数箇所に修復箇所が有り、
葡萄の葉等にも欠けが有りますがますが(こういった細かい部分に全くダメージを
受けていない18世紀のフィギュア作品を見た事がありません)、目立つ様な大きな瑕疵(かし)は
無く、18世紀に制作されたオールド・マイセンのフィギュア作品にしては、
充分に満足のゆく状態を保っています。
なお、本作品の台座やボンボン入れの内側に、焼成時にできた“ファイアリング・クラック”と
呼ばれるヒビ(割れ目)が有りますが、マイセン窯では、石炭を使用し始める1798年までは
温度管理の難しい薪(まき)を使って焼成しており、更に、素地の配合もまだ確立されていなかったため、
18世紀に制作されたフィギュア作品には、ほとんど全てと言ってもよいほどヒビが有りますので、
このヒビは、むしろ、18世紀のマイセン窯で制作されたフィギュア作品の
好ましい証拠(もしくは特徴)として捉え、ここでは欠点とはいたしません(当時のマイセン窯でも、
そういったヒビを必然的なものとし、ほとんど欠点とは見なしていませんでした)。
18世紀初頭にヨーロッパで最初に硬質の白磁器の制作に成功したマイセンは、その後、18世紀全般を通じて、
ヨーロッパ磁器芸術の頂点に君臨する事になりますが、この時期に制作されたマイセンの作品は、
欧米のコレクターの間で非常に人気が高く、特に、ケンドラー(彫刻家 ※ )やアシエ(彫刻家)や
ヘロルト(画家)が、その感性とテクニックを互いに切磋琢磨し競い合っていた絶頂期の、
しかも、彼等自身が制作に携わった作品に付いては、全く異なる別格の扱いを受けています
(本作品は、その制作年代と作品の特徴から、ケンドラー自身が制作に携わった事は確実だと思われます)。
形状が複雑で細かい凹凸の有る磁土の彫塑を、原型通りに焼き上げるのは非常に難しく、
窯の中における焼成(磁土の収縮)を正確にコントロールする大変複雑で高度な技術が要求されます。
しかしながらマイセンでは、1700年代の初頭に中国や日本の渡来品を手本に磁器制作を開始してから、
わずか20年足らずで磁器彫塑の技術をほぼ確立しており、その進化のスピードは俄かには信じ難いほど驚異的です。
ちなみに、磁器制作においては先輩格の日本でも、江戸時代から、磁器彫塑を焼き上げる技術に挑戦してきましたが、
マイセン・フィギュアほどの(形が複雑で動きのある)作品を焼き上げる技術はついに独自では確立できず、
明治政府誕生後に留学生をマイセンに派遣し、その進んだ技術を取り入れようと試みています。
※ 専門家の鑑定を経ないで直接出品できるフリーマーケット的な
ネット・オークションでは仕方ないのかもしれませんが、明らかなニセモノをはじめ、
部位が欠落していたりキャンセル・マークをパテで埋めて偽装した様なマイセン・フィギュアの欠陥作品が、
その事実を隠して(もしくは、出品者自身が気付かないで)出品されているケースをよく見かけますので、
何卒、お気を付けくださいませ。
※ 将来、もし、修復が必要になりました場合は、日本国内の優秀な修復家の方を直接ご紹介いたします。
※写真は、焦点があまく、多少の歪みと反射が有り、実際の色と若干異なっています。
落札希望価格 | 最高入札価格 |
ご入札者 | 入札締切日 |
on request | private | private | '05/7/1 |